大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第三小法廷 平成9年(行ツ)173号 判決 1998年11月10日

名古屋市北区彩紅橋通一丁目一番地の一四

上告人

株式会社メイチュー

右代表者代表取締役

中島康策

右訴訟代理人弁護士

名倉卓二

同弁理士

後藤憲秋

吉田吏規夫

川崎市高津区二子六六三番地五

被上告人

東京ファーネス工業株式会社

右代表者代表取締役

中村嘉良

右訴訟代理人弁護士

荒木秀一

同弁理士

鈴江武彦

右当事者間の東京高等裁判所平成八年(行ケ)第一七号審決取消請求事件について、同裁判所が平成九年四月二四日に言い渡した判決に対し、上告人から上告があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人名倉卓二、同後藤無秋、同吉田吏規夫の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。右判断は、所論引用の判例に抵触するものではない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 千種秀夫 裁判官 園部逸夫 裁判官 尾崎行信 裁判官 元原利文 裁判官 金谷利廣)

(平成九年(行ツ)第一七三号 上告人 株式会社メイチュー)

上告代理人名倉卓二、同後藤憲秋、同吉田吏規夫の上告理由

原判決には、判決に影響を及ぼすこと明らかな特許法の解釈適用に誤りがあり(上告理由第一点)、また、最高裁判所の判例と相反する判断をなし(上告理由第二点)、しかも、原判決は経験則に反しその理由自体が明らかに合理性を欠き、判決に実質的な理由が付されず、審理不尽による理由不備の違法がある(上告理由第三点)から、破棄を免れないものである。

上告理由第一点(特許法の解釈適用の誤り)

一、原判決には、判決に影響を及ぼすこと明らかな特許法の解釈適用に誤りがある。

原判決は、本件発明が特許法第二九条第一項第三号(特許出願前に頒布された刊行物に記載された発明)に該当しその特許を無効とするとした特許庁審決を維持したものであるが、しかしながら、原判決には、同規定の解釈適用、特に同規定中の「刊行物に記載された発明」の解釈を誤った違法がある。

特許法第二九条第一項は「産業上利用できる発明をした者は、次に掲げる発明を除き、その発明について特許を受けることができる。一、特許出願前に日本国内において公然知られた発明 二、特許出願前に日本国内において公然実施された発明 三、特許出願前に日本国内又は外国において頒布された刊行物に記載された発明」と規定する。ここで規定される「産業上利用できる発明」、「公然知られた発明」、「公然実施された発明」および「刊行物に記載された発明」の「発明」とは、特許法第二条第一項において「この法律て『発明』とは、自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のものをいう。」と定義されるところのものであることは明らかである(注1)。

従って、前記第二九条第一項第三号の「刊行物に記載された発明」の「発明」とは、第二条に定義されるところの「発明」であって、すなわち、<1>自然法則を利用したものであること、<2>技術的思想であること、<3>創作であること、<4>高度のものであることの四つの要件を満たすものでなければならない。このうち<2>の「技術的思想」であるというためには、当該技術分野における通常の知識を有する者(以下、「当業者」という)が反復実施して目的とする技術的効果を挙げることができる程度にまで具体的、客観的なものとして構成されていなければならず、技術内容が右の程度まで具体的、客観的に構成されていないものは「技術」とはいえず、従って「発明」ということができないものである。このことは、判例(本書の「上告理由第二点」参照)、通説(注2)によって承認されている定理である。

しかるに、原判決は、「刊行物に記載された発明」の「発明」の意味を右の「技術的思想」として捉えることなく、「刊行物」に記載されたものにおいて「一時的、偶発的に生ずる単なる現象」を「発明」とみなし、これをもって「刊行物に記載された発明」としたものであって、同規定の解釈適用を明らかに誤った違法がある。

(注1)特許庁編「工業所有権法逐条解説〔第一三版〕」(平成八年発明協会発行)の七八ページでは、特許法第二九条の趣旨として、

「本条は、発明に対する特許要件のうち主要なものを規定している。この法律にいう発明の定義については二条一項に規定しており、この定義にいう発明に該当しないものに対しては特許がされないことはいうまでもないが、定義にいう発明に該当するものであってもそのすべてに特許が付与されるものではない。」と解説する。(参考資料一参照)

(注2)中山信弘編著「注解特許法〔第二版〕上巻」(平成元年青林書院発行)一九七ページでは、特許法第二九条第一項第三号の「刊行物に記載された発明」の意味として、次のとうに述べている。(参考資料二参照)

「(二)記載された発明の意味 刊行物に発明が記載されているということは当業者がその刊行物をみれば、特別の思考を要することなく、容易に実施しうる、という意味である。旧法では、刊行物に『容易ニ実施シ得ヘキ程度ニ於テ』記載されていることを必要とされていたが、現行法では削除されている。しかし、旧法と異なった解釈をする必要は全くない(織田=石川91、吉藤81、萼66、橋本・特許法182)。」

右にいう「当業者がその刊行物をみれば、特別の思考を要することなく、容易に実施しうる」とは、結局、当業者が反復実施して目的とする技術的効果を挙げることができる程度にまで具体的、客観的なものとして構成されていることを意味すると考えられる。

二、本件刊行物の技術内容

(1) 引用例は、本件発明の特許出願前に日本国内で頒布された刊行物「FOUNDRY TRADE JOURNAL」一五一巻三二一九号、一九八一年(昭和五六年)八月一三日発行(昭和五六年一〇月五日東京大学工学部金属系学科図書館受入れ)(以下「本件刊行物」という)であって、その261ページには、「連続溶解、保持用の溶解および保持のための二室を持つ溶解保持炉」の写真が掲載され、図8(原判決に付属された別紙図面2)には、乾燥炉床溶解炉の二方向からみた断面図が示されている。

右本件刊行物の記述から、該刊行物には、次の技術事項が記載されていることが明らかである。

<1>「炉内のバーナーの燃焼ガスを利用して、装入された金属材料を予熱するようにした予熱室と、溶解室に隣接する連通開口及び溶解室の傾斜床面より低く設けられた底面を有し、バーナーが設けられた保持室との三室構造からなる溶解保持炉であること」、および該溶解保持炉の「溶解室3の底面は煙道5から連なる傾斜面で構成され、保持室2に向かって傾斜していること」(原判決21ページ2~9行。なお、この点については、当事者間に争いがない。)

<2> 本件刊行物の図8(原判決の別紙図面2)には、「溶湯の『湯面ライン』が付され、溶解室の一部及び傾斜床面の一部が溶湯に浸漬されているものが示されていること」(原判決25ページ1~3行。「湯面ライン」がそのように図示されていることについては図面上明らかである。)

(2) しかるに、原判決は、右本件刊行物の技術内容について、左のように、認定する(なお、傍線は上告人。以下同じ)。

a.まず第一に、図8に図示された「湯面ライン」の意味について、原判決は、これを「引用例の溶解炉においては、保持室の溶湯の量が増大するにしたがい溶湯面が上昇し、その結果溶解室の一部及び傾斜床面の一部が溶湯に湿潤されていることは、図示されているように、構造上起こり得ることであるものの、引用例の溶解炉は乾燥炉床溶解炉であるから、溶解室の傾斜床面を積極的に溶湯に浸漬する意図はなく、むしろ、溶解室で溶解された溶融金属は、早速保持室へと流れていくことを意図しているものと解するのが合理的である」とする審決の判断(原判決9ページ最終行~10ページ7行目)を、「『構造上起こり得ること』でないものと断定することもできない」として容認する(原判決30ページ5~6行目)。

b.第二に、原判決は、「したがって、引用例の図8に湯面ラインが溶解室に至った状態が図示されてはいるものの、引用例の溶解炉においても、本件発明と同様に、『傾斜床面』は、熱せられた金属材料が加熱溶解されながら流下するものということができ、また『連通開口』は、傾斜床面を流下する溶解した金属材料が流入することができるものといえ、そのことは引用例の溶解炉においても意図されている範囲のものである」とする審決の判断(原判決10ページ8~14行目)を、「誤りはない」と容認する(原判決31ページ7行目)。

すなわち、原判決は、本件刊行物の技術内容について、図8に実際に図示された「溶解室に至った状態の湯面ライン」は「構造上起こり得ること」であるとして、これ以外の、図示とは異なった「溶解室に至らない状態の湯面ライン」を想定し、かつ、この想定された「溶解室に至らない状態の湯面ライン」に基づいて、本件発明と同様の、「熱せられた金属材料が加熱溶解されながら流下する傾斜床面」および「傾斜床面を流下する溶解した金属材料が流入することができる連通開口」の各構成を有する「発明」が、本件刊行物に「記載(意図)」(注3)されていると判断するのである。

(注3)原判決(審決)は、「意図されている範囲」という極めて曖昧な用語を用いているが、特許法第二九条第一項第三号の「刊行物に記載された発明」とは「刊行物に(実際に)記載されている事項」および「記載されているに等しい事項」を含むと解釈されているので、ここでいう「意図されている範囲」とは「記載されているに等しい事項」の意と考える。

(3) なるほど、たしかに、本件刊行物に記載された「溶解炉」は乾燥炉床溶解炉であって、溶解室で溶解された溶融金属は早速保持室へと流れていくものであり、保持室の溶湯の量が増大するにしたがい溶湯面が上昇し、その結果として図8の「溶解室に至った状態の湯面ライン」が形成されるものである。そして、保持室の溶湯の量が増大していく過程において、「溶解室に至らない状態の湯面ライン」が現出されることも理の当然である。また、「溶解室に至らない状態の湯面ライン」は、急激な出湯による湯量の減少によっても現出される。なお、原判決は、「湯面ラインはほぼ一定しているものと解すべきであるとは認め難」いと言う(原判決30ページ3~4行目)(注4)。

とすると、この本件刊行物に記載された溶解炉とはどのような溶解炉であるかということになるのであるが、結局、「溶湯が溶解室に至ったり、至らなかったりする」ところの炉であると解するほかない。そして、「溶解室に至らない状態の湯面ライン」の現出は、図8に図示された溶解炉において、その溶湯が増大していく過程および溶湯の減少という溶湯量の変動によって「一時的あるいは偶発的に」もたらされるものであるということになる。

(注4)この種の溶解炉は燃料費が膨大にかかるものであるから、操業時には燃費の効率を上げるために溶湯量をあまり変動させずにほぼ一定ラインで運転するのが経済的で通常である。なお、平成八年三月二八日付けの第二準備書面(原告)に添付の【参考図2】参照。

(4) 右のように、本件刊行物に記載された溶解炉は「溶湯が溶解室に至ったり、至らなかったりする炉」であって、当該炉において、「溶解室に至らない状態の湯面ライン」の現出は、「一時的あるいは偶発的に生ずる単なる現象」にすぎないものである。であるとすると、この「一時的あるいは偶発的に生ずる単なる現象」をもって「発明」とすることができるか、という問題が生ずる。

特許法第二九条第一項第三号の「刊行物に記載された発明」というためには、第二条第一項の定義に規定される「発明」でなければならず、「発明」というためには、前記したように、当業者が反復実施して目的とする技術的効果を挙げる程度にまで具体的、客観的な「技術」として構成されていなければならない。「一時的あるいは偶発的に生ずる単なる現象」は、特定の技術目的の認識がない以上、当業者が反復実施して目的とする技術的効果を挙げることができるものではない。「一時的あるいは偶発的に生ずる単なる現象」は、時間の経過(湯量の増大過程)や条件の変動(湯量の急激な減少)によって随時変化するものであるから、特定の目的のために具体的、客観的に構成された「技術」ということができない。

してみれば、原判決は、本件刊行物に記載された溶解炉において「一時的あるいは偶発的に生ずる単なる現象」を「発明」とみなした点において、「発明」の解釈定理を明らかに誤ったものといわなければならなのである。

三、本件発明の技術内容について

ところで、本件発明の技術内容は、次のとおりである。

(本件発明の構成要件)

本件発明の構成要件は、その明細書の特許請求の範囲の記載に徴し、次の通りである。

「タワー状に積重ねられた金属材料のうち下部に位置する材料が熱せられ上部に位置する材料は炉内の燃焼排ガスによって予熱されるように筒状に構成された予熱室20と、

前記予熱室に向けて溶解バーナー39が配置され、かつ熱せられた金属材料が加熱溶解されながら流下する傾斜床面33を有する溶解室30と、

前記溶解室と隣接し傾斜床面を流下する溶解した金属材料が流入することができる連通開口42を有し、床面43は前記傾斜床面より低く構成されているとともに、室内の溶湯を保温する保持バーナー49が設けられた保持室40

を有することを特徴とする金属溶解保持炉。」

(本件発明の目的)

また、本件発明が解決しようとする技術的課題(目的)は、明細書(甲第2号証)の「発明の詳細な説明」中の「従来の技術」の項および「発明が解決しようとする課題」の項に記載したように、次の通りである。

<1> アルミ等の金属材料を溶解し保持する金属溶解炉においては、溶解された金属溶湯の温度保持が連続出湯(連続鋳造)上重要な問題であるところ(注・金属溶湯を鋳造型に注ぎ込みアルミ製品等を連続的に成型する(これをダイカストという)のであるが、溶湯温度が低下したり変動すると、成型品に「巣」や「欠肉」ができたり、あるいは「強度」等の物性が低下する。また、この型成型は連続して行うことが生産効率上必要であるから、溶湯は長時間に亘り一定の温度が保たれなければならない。)、従来の金属溶解炉(明細書中で引用した実公昭五七-二八七七号公報。甲第4号証)では、「被溶解物である温度の低い金属材料が溶湯と直接接触して溶湯温度を低下させるという溶湯の温度管理上致命的な問題を有して」いた(甲第2号証の第2欄10~11行)。

<2> もちろん、実公昭五七-二八七七号公報(甲第4号証)では、この溶湯温度の低下という問題を解決するための手段として、金属材料を溶解する「溶解室」と溶湯を蓄積する「保持室」とを分離して、この間に「昇温室」なる特別の構成を介在させてここでさらに加熱昇温するようにしたものであるが、しかしながら、「金属材料が溶湯と直接接触することがなければ、この手段(昇温室)を設ける必要はない。また、このような温度ロスがなければ、燃料をより有効に使用することができ、その熱効率も向上し省エネルギーにもなる。」(同第2欄13~18行)

<3> そこで、本件発明の目的(解決しようとする技術的課題)は、「溶解に際し温度の低い金属材料が溶湯と直接接触することがない新規なタイプの溶解炉を提案しようとするものである。」(同第2欄20~22行)

(本件発明の作用)

本件発明は、前記した技術的構成とすることによって、次の作用を有し、前記目的(「溶解に際し温度の低い金属材料が溶湯と直接接触することがない」構造の溶解保持炉)を実現、達成する。以下、明細書の「作用」の項の記載(甲第2号証の第5欄39行~第6欄12行)を引用して述べる。

<1> 予熱室内の材料の直接加熱と予熱

「溶解バーナー39の加熱ガスは予熱室20下部の材料A1を直接加熱するとともに、この予熱室20内を上昇して上部に位置する材料A2を予熱する。」

<2> 溶融材料の溶解室傾斜床面への流出

「予熱室20内の下部に投入された材料A1は溶解バーナー39の加熱ガス(バーナーフレーム)によって加熱、溶解され、この溶解された溶融または半固溶状態のアルミAmは、溶解室の傾斜床面33に流れ出す。」

<3> 溶解室傾斜床面での溶融材料の完全溶融

「そして、この傾斜床面33に流れ出した溶融材料Amは溶解バーナー39によってさらに加熱昇温されて該床面33を流下し、完全な溶融状態となって連通口42を経て保持室40内に流入する。」

<4> 完全な溶融アルミの保持室への流入

「保持室40内に流入した溶融アルミは溶湯Mとして蓄えられる。保持室40では保持バーナー49が設置されていて、前記したように溶湯の温度を一定に保持する。」

以上の作用から理解されるように、本件発明の「溶解に際し温度の低い金属材料が溶湯と直接接触することがない」という目的は、前記<3>および<4>の「傾斜床面33に流れ出した溶融材料Amは溶解バーナー39によってさらに加熱昇温されて該床面33を流下し、完全な溶融状態となって連通口42を経て保持室40内に流入」し「溶湯Mとして蓄えられる」という作用によって実現されるものである。そして、この作用は、前記した本件発明の要件構成のうち、直接的には、溶解室における「熱せられた金属材料が加熱溶解されながら流下する傾斜床面33を有する」という構成と、保持室における「傾斜床面を流下する溶解した金属材料が流入することができる連通開口42を有する」という構成から、導き出されるのである。

(本件発明の効果)

本件発明は、右のように、前記した構成要件からなり、該構成による右作用によって、所期の目的とした、「金属材料の溶解に際し温度の低い材料が溶湯と直接接触することがない新規なタイプの溶解保持炉を提供することができた」(甲第2号証の第6欄27~30行)という効果を生ずるのである。

そして、このような効果によって、「温度ロスを改善して熱効率を大幅に向上し炉としての省エネルギーを図るとともに、溶湯の品質向上に大きく寄与することができる金属溶解保持炉を提供することができた」(同第6欄35~39行)のである。

四、右に詳述したように、本件発明は、「溶解に際し温度の低い金属材料が溶湯と直接接触することがない溶解炉を提案する」という特定の技術目的を達成するために、溶解室において「熱せられた金属材料が加熱溶解されながら流下する傾斜床面」および保持室において「傾斜床面を流下する溶解した金属材料が流入することができる連通開口」という特別の技術的構成を採択し(注5)、この構成によって「傾斜床面33に流れ出した溶融材料Amは溶解バーナー39によってさらに加熱昇温されて該床面33を流下し、完全な溶融状態となって連通口42を経て保持室40内に流入」し「溶湯Mとして蓄えられる」という作用を生じ、もって前記した所期の目的を実現するものであって、右本件発明の開示によれば、当業者が反復実施して所期の目的である技術的効果を挙げることができるのである。なお、右開示によれば、本件発明では、その要件構成から、金属材料は傾斜床面全部を流下し、連通開口を経て保持室に流入しそこで溶湯として蓄えられるものであるから、構造上「溶湯が溶解室に至ることのない」炉である。

(注5)原判決は「引用例の溶解炉においても、溶解室3の傾斜床面の少なくとも一部(別紙図面3に表示のイ・ロ間)が乾燥炉床として、煙道5によって熱せられた金属材料をバーナ6によってさらに加熱、溶融している」として該引用例と本件発明との技術思想の相違を否定するが(原判決31ページ13行目以下)、本件発明の要件構成は「傾斜床面」だけではなく、「傾斜床面を流下する溶解した金属材料が流入することができる連通開口」をも必須の要件構成とするもので、本件発明はこれら「流下する傾斜床面」と「流入できる連通開口」の両者によって、所定の作用(「傾斜床面33に流れ出した溶融材料Amは溶解バーナー39によってさらに加熱昇温されて該床面33を流下し、完全な溶融状態となって連通口42を経て保持室40内に流入」し「溶湯Mとして蓄えられる」という作用)を生じ、所期の目的を達成する技術思想に係るものである。(なお、本書の「上告理由第三点」の項参照)

これに対して、本件刊行物にあっては、その図8(原判決の別紙図面2)には「溶解室に至った状態の湯面ライン」が表示され溶解室(本件発明の溶解室に相当する部分)及びその傾斜床面が溶湯に浸漬されたものが示されており、仮に、原判決が認定するように、本件刊行物に記載された「溶解炉」は乾燥炉床溶解炉であって、溶解室で溶解された溶融金属は早速保持室へと流れていくものであり、保持室の溶湯の量が増大するにしたがい溶湯面が上昇し、その結果図8の「溶解室に至った状態の湯面ライン」が形成される(構造上起こり得る)ものの、保持室の溶湯の量が増大する過程において(あるいは湯量の減少によって)、「溶解室に至らない状態の湯面ライン」が形成され、「熱せられた金属材料が加熱溶解されながら流下する傾斜床面」および「傾斜床面を流下する溶解した金属材料が流入することができる連通開口」が現出されるとしても、このような構成は、「溶湯が溶解室に至ったり、至らなかったりする炉」において、「一時的あるいは偶発的に生ずる単なる現象」にすぎないものである。このような「一時的あるいは偶発的に生ずる単なる現象」をもって「発明」つまり当業者が反復実施して所期の目的である技術的効果を挙げることができる程度まで具体的、客観的なものとして構成された「技術思想」とすることはできないことは明らかである。

本件刊行物の図8に図示された溶解炉は、「溶湯が溶解室に至ったり、至らなかったりする炉」であり、これが、本件刊行物に記載された発明である。これをもって、本件発明の「溶湯が溶解室に至ることのない炉」の発明が当該刊行物に「記載」されているとすることはできない。

右のように、原判決は、特許法第二九条第一項第三号の「刊行物に記載された発明」の解釈適用を明らかに誤ったものであるといわなければならないのである。

上告理由第二点(最高裁判所の判例と相反する判断)

一、また、原判決は、最高裁判所の判例とも相反する判断をしている。

<1> 最高裁判所昭和四九年(行ツ)第一〇七号、同五二年一〇月一三日第一小法廷判決(民集三一巻六号八〇五頁)は、特許法第二九条第一項柱書の「産業上利用することができる発明」に関し、「そこにいう『発明』は法二条一項にいう『発明』の意義に理解すべきものである」として、次のように説示する。

「 特許法(以下「法」という。)二条一項は、「この法律で『発明』とは、自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のものをいう。」と定め、「発明」は技術的思想、すなわち技術に関する思想でなければならないとしているが、特許制度の趣旨に照らして考えれば、その技術内容は、当該の技術分野における通常の知識を有する者が反復実施して目的とする技術効果を挙げることができる程度にまで具体的・客観的なものとして構成されていなければならないと解するのが相当であり、技術内容が右の程度まで構成されていないものは、発明として未完成のものであって、法二条一項にいう「発明」とはいえないものといわなければならない(当裁判所昭和三九年(行ツ)第九二号同四四年一月二八日第三小法廷判決・民集二三巻一号五四頁参照)。」

右の最高裁判所判例は、出願発明が特許法第二九条第一項柱書の「産業上利用することができる発明」に該当するか否について争われた事例であるが、同条同項第三号の「刊行物に記載された発明」における「発明」においても全く同様に解釈されるものであることはいうまでもない。

<2> 右の最高裁判所判例は、同判決に引用されているように、最高裁判所昭和三九年(行ツ)第九二号、同四四年一月二八月第三小法廷判決(民集二三巻一号五四頁)を確認し、踏襲するものである。該判決は旧特許法(大正一〇年法)に基づく特許出願についての判断であるが、次のように判示する。

「発明は自然法則の利用に基礎づけられた一定の技術に関する創作的な思想であるが、特許制度の趣旨にかんがみれば、その創作された技術内容は、その技術分野における通常の知識経験をもつ者であれば何人でもこれを反復実施してその目的とする技術効果をあげることができる程度にまで具体化され、客観化されたものでなければならない。従って、その技術内容がこの程度に構成されていないものは、発明として未完成であり、もとより旧特許法第一条にいう工業的発明に該当しないものというべきである。」

<3> また、右の最高裁判所の判断が特許法の他の条項にいう「発明」の解釈にも適用される例として、例えば、最高裁判所昭和六一年(オ)第四五四号、同六一年一〇月三日第二小法廷判決(民集四〇巻六号一〇六八頁)は、特許法第七九条の先使用に係る発明の解釈に関して、次のように説示する。

「 発明とは、自然法則を利用した技術的思想の創作であり、一定の技術的課題の設定、その課題を解決するための技術的手段の採用及びその技術的手段により所期の目的を達成しうる効果の確認という段階を経て完成されるものであるが、発明が完成したというためには、その技術的手段が、当該技術分野における通常の知識を有するものが反復実施して目的とする効果を上げることができる程度にまで具体的・客観的なものとして構成されていることを要し、又これをもって足りるものと解するのが相当である(最高裁昭和四九年(行ツ)第一〇七号同五二年一〇月一三日第一小法廷判決・民集三一巻六号八〇五頁参照)。」

右のように、特許法の各法条にいう「発明」とは、前記<1>ないし<3>の最高裁判所の判例がいうように、「一定の技術的課題の設定、その課題を解決するための技術的手段の採用及びその技術的手段により所期の目的を達成しうる効果の確認という段階を経て完成されるもので」、「その技術内容は、当該技術分野における通常の知識を有する者が反復実施して目的とする技術効果を挙げることができる程度にまで具体的・客観的なものとして構成されていなければならないと解するのが相当であり」、「技術内容が右の程度まで構成されていないものは『発明』とはいえない」のである。これは、旧特許法(大正一〇年法)以来確立された最高裁判所の判例である。

二、しかるに、本件刊行物にあっては、その図8(原判決の別紙図面2)には「溶解室に至った状態の湯面ライン」が表示され溶解室の一部及び傾斜床面の一部が溶湯に浸漬されてものが示されており、仮に原判決が認定するように、本件刊行物に記載された「溶解炉」は乾燥炉床溶解炉であって、溶解室で溶解された溶融金属は早速保持室へと流れていくものであり、保持室の溶湯の量が増大するにしたがい溶湯面が上昇し、その結果図8の「溶解室に至った状態の湯面ライン」が形成されるものの、保持室の溶湯の量が増大する過程において(あるいは急激な出湯による湯量の減少によって)、「溶解室に至らない状態の湯面ライン」が形成され、「熱せられた金属材料が加熱溶解されながら流下する傾斜床面」および「傾斜床面を流下する溶解した金属材料が流入することができる連通開口」が現出されるとしても、このさつな構成は、「溶湯が溶解室に至ったり、至らなかったりする炉」において、一時的あるいは偶発的に生ずる単なる現象」にすぎないものであって、この「一時的あるいは偶発的に生ずる単なる現象」をもって、一定の技術的課題が設定されその課題を解決するための技術的手段が採用され及びその技術的手段により所期の目的を達成しうる効果確認されるという段階を経て完成された「技術(的思想)」であるとはいえず、従って当業者が反復実施して所期の目的である技術的効果を挙げることができる程度まで具体的、客観的なものとして構成された「発明」とすることはできない。

であるとすると、原判決は、特許法第二九条第一項第三号の「刊行物に記載された発明」の解釈適用につき、右最高裁判所の確立した判例と明らかに相反する判断をなすものであるといわねばならない。

上告理由第三点(理由不備)

さらに、原判決は、経験則にも反し、その理由自体が明らかに合理性を欠き、判決に実質的な理由が付されず、審理不尽による理由不備の違法がある。

一、本件発明は、前述したように、溶解した金属材料を溶解室の傾斜床面を流下させることによって加熱昇温し、完全な溶融状態にして連通開口を経て保持室に流入し溶湯として蓄える、という技術思想からなるものであり、構造的に「溶湯が溶解室に至ることのない炉」である。これに対して、本件刊行物の溶解炉は、図8の状態では、溶湯の「湯面ライン」が溶解室相当部分の傾斜床面に至っている状態が図示されているものであるから、金属材料は該傾斜床面を流下することができず、また連通開口には溶湯が入り込んでいるものであるから、材料は該連通開口を経て保持室に流入しそこで溶湯として蓄えられることができない。仮に、原判決のように、本件刊行物の図8に図示の「湯面ライン」は「構造上起こり得る」もので、本件発明の「(金属材料が流下する)傾斜床面」および「(金属材料が流入する)連通開口」は引用例においても「意図されている範囲のものである」と解釈したとしても、当該状態は、本件刊行物の溶解炉において、「一時的あるいは偶発的に」生ずる現象である。つまり、本件刊行物の溶解炉は、原判決の認定によるとしても、構造的にみれば「溶湯が溶解室に至ったり、至らなかったりする炉」である。

そうであるとすると、本件発明の「溶湯が溶解室に至ることのない炉」と本件刊行物の「溶湯が溶解室に至ったり、至らなかったりする炉」とを対比した場合、前者にあっては一定の作用効果(傾斜床面33に流れ出した溶融材料Amは溶解バーナー39によってさらに加熱昇温されて該床面33を流下し、完全な溶融状態となって連通口42を経て保持室40内に流入し溶湯Mとして蓄えられ、もって溶解に際し温度の低い金属材料が溶湯と直接接触することがない、という作用効果)が常時生ずるように構成されたものであり、後者にあってはそのような作用効果が一時的あるいは偶発的に生ずるにすぎないのであるから、これらをして同一構造の、同一の技術思想に係るものであるとは、技術常識上はもちろん、一般常識に照らしても、到底いうことができないものである。(例えば、一定の好ましい低燃費走行があらゆる速度域で達成されるように構成された自動車と、そのような低燃費走行が限られた速度域でのみ一時的に生ずる自動車とが、同一であるとはいえない。)

右のように、原判決の判断は、本件発明と本件刊行物に記載された溶解炉との対比において、技術常識上はおろか、一般常識上においても明らかな経験則違反があり、合理性を欠き、判決に実質的な理由が付されず、審理不尽による理由不備の違法があるといわねばならない。

二、また、原判決は、本件刊行物に記載された溶解炉においても、「溶解室3の傾斜床面の少なくとも一部(注・原判決添付の別紙図面3のイ、ロ)が乾燥炉床として、煙道5によって熱せられた金属材料をバーナー6によってさらに加熱、溶融している」ことを理由として、本件発明と当該溶解炉との技術思想の相違を否定する(原判決三一ページ八行目以下)。

しかしながら、本件発明は、単に、溶解室の「傾斜床面」の一部が乾燥炉床であることのみを要件構成とするものではなく、これと連関して、該傾斜床面を流下する溶解した金属材料が流入することができる「連通開口」を保持室に備えることをも必須の要件構成とするものである。これらの「(熱せられた金属材料が)流下する傾斜床面」と「(該傾斜床面を流下する溶解した金属材料が)流入できる連通開口」の両者の一体不可分な連関関係において本件発明が成立し、前記したような所定の作用、効果を生じ、所期の目的を達成することができるものである。

原判決は、この点、本件刊行物に記載された溶解炉が単に本件発明の一の要件構成を形式的に備えることをもって本件発明の技術思想との同一性を認めて、上告人の「本件発明と引用例の溶解炉との間には根本的な技術思想の相違が存在する」旨の主張を斥けたもので、明らかな誤解がある。当該「傾斜床面」のみの構成では、本件発明が成立せず、かつその作用、効果が生じないことは、本件発明の明細書の記載から明らかである。原判決は、発明の対比に際して、発明の構成に欠くことができない要件構成の把握を誤るという基本的かつ致命的な錯誤を犯しており、明らかに経験則に反するものである。

三、右のように、原判決は、本件発明と本件刊行物に記載された溶解炉の対比について、経験則に反し、その理由自体が明らかに合理性を欠き、判決に実質的な理由が付されず、審理不尽による理由不備の違法があるから、この点からも破棄を免れない。

付記

訂正審判の請求について

一、上告人は、平成九年六月四日付けで、特許庁に対して、本件発明の明細書の訂正(特許請求の範囲の訂正を含む)を求めて訂正審判を請求している(参考資料三参照)。

この訂正審判の請求は、本件発明と本件刊行物に記載された発明との相違をより一層明確にし、万一仮に本件発明と本件刊行物に記載された発明が同一であるならば(本件発明に本件刊行物に記載された発明が含まれるならば)当該刊行物に記載された発明の技術思想を除外するために、行ったものである。

二、この訂正審判の請求に係る訂正は、特許法第一二六条第一項の規定に基づき、本件特許明細書について特許請求の範囲の減縮を目的とするもので、その特許請求の範囲を次のように訂正することを求めるものである(傍線は訂正箇所)。

「 タワー状に積重ねられた金属材料のうち下部に位置する材料が熱せられ上部に位置する材料は炉内の燃焼排ガスによって予熱されるように筒状に構成された予熱室20と、

前記予熱室に向けて溶解バーナー39が配置され、かつ熱せられた金属材料が加熱溶解されながら床面全部を流下することができる傾斜床面33を有する溶解室30と、

前記溶解室と隣接し傾斜床面を流下する溶解した金属材料が流入することができる連通開口42を有し、前記材料が前記連通開口を経て流入し溶湯として蓄えられる底面43は前記傾斜床面より低く構成されているとともに、室内の溶湯を保温する保持バーナー49が設けられた保持室40

を有することを特徴とする金属溶解保持炉。」

右の特許請求の範囲の訂正は、溶解室30の傾斜床面33の構成および保持室40の連通開口42の構成を、明細書添付図面の第2図の記載、および明細書10ページ8行目から14行目(公告公報6欄3行目から9行目)の「この傾斜床面33に流れ出した溶融材料Amは溶解バーナー39によってさらに加熱昇温されて該床面33を流下し、完全な溶融状態となって連通口42を経て保持室40内に流入する。保持室40内に流入した溶融アルミは溶湯Mとして蓄えられる。」という記載に基づいて限定するものである。

三、今回の訂正審判による訂正は、特許請求の範囲の減縮を目的とするもので、願書に添付した明細書又は図面に記載した事項の範囲内のものであって、実質上特許請求の範囲を拡張し、又は変更するものではない。また、訂正後の特許請求の範囲に記載されている事項により構成される発明は、前記した本件刊行物に記載された発明と明確に区別されかつその技術思想を根本的に異にするものであるから、特許出願の際に独立して特許を受けることができるものである。

よって、本訂正が認められる蓋然性は極めて高いものと、上告人は思料する。

ついては、本件上告の審理について、訴訟経済、法的安定性等の点から、右訂正審判の審理を十分配慮してなされるよう、上告人は希望する次第である。

以上

(添付書類省略)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例